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平田栄史さんインタビュー(総集編)

July 27, 2017

平田 栄史 (ヒラタ エイシ) 【生年月日 1978年3月22日】

 

 

経歴 

◆近代五種

世界選手権日本代表

アジア選手権 団体2位

◆競泳

200mバタフライマスターズ 日本記録

 

小学校の時から水泳を始め、中学三年生時には愛媛県中学総体200mバタフライで優勝。高校進学後は四国高等学校選手権大会で400m自由形、200mバタフライで優勝を果たす。

その後も全日本実業団選手権で決勝に進出するなど、しばらくは競泳選手として活動していたが、スカウトを受けて自衛隊体育学校に入り同時に近代五種を始める。

得意の水泳を強みに、競技を始めて3年後にはアジア選手権に、2007年には世界選手権に日本代表として初選出されるなど国内トップクラスの近代五種選手として活躍した。

現在は自衛隊を退社し、S-SENSE(エスセンス)コーチとして年齢や競技問わず様々な選手の育成、指導を行っている。

 

※近代五種とは、射撃(エアーピストル)、フェンシング(エペ)、水泳(200m自由形)、馬術(障害)、ランニング(クロスカントリー)を一日で行いその合計点を競う競技です。

 

 

インタビュー

 

清水:スポーツで上を目指している若者は、常に先を見据えて行動していかないといけないと思います。私たちは現在、頑張っているアスリートを支援する仕組みを整えているのですが、そこで、過去にスポーツに本気で励んでいたアスリートがどのような人生を送っているのかをインタビューし、現役の若手アスリートの指針にして欲しいと考えました。それではインタビュー、よろしくお願いします。いきなり・・・ですが平田さんの選手としての半生を教えてください。

 

平田:よろしく。

水泳は小学一年生の時から始めたけど、耳が弱くて3か月くらいで一時中断し、小学四年生くらいの時に水泳を再開したかな・・・耳栓つけてね。中学生の時は父親と母親の影響で体操部に入りたかったんだけど、先輩から水泳部に勧誘され1年だけやろうと思っていた。が、それが続いて中学一年生の冬から本格的にスイミングクラブに通い始めたかな。

 

清水:競技者としてのスタートは遅いですね。

 

平田:うん、かなり遅いね。大学生までは水泳一筋で、中退して社会人でも地元の高校にプールを貸りて泳がせてもらうかわりに練習を見る感じで活動していたかな。そこでコーチ兼練習を続けていたね。水泳の実業団としては2年間やったかな。

 

清水:実業団というのはどこに登録していたのですか?

 

平田:実家のパン屋。1人で。だから、レース前に名前を呼ばれる時に、〇コース、トヨタ。〇コース、富士通。〇コース、ミキハウス。5コース、パンメゾンって呼ばれて。周りの選手が、パン屋!?ってびっくりしていた。でも、それでいろんな人に応援してもらっていたよ。パンメゾンってなんだって(笑)

 

清水:確かにかなりの宣伝になりますよね。(笑)

 

平田:うん、大体大御所の選手が決勝に残るから、そこで一個人が残っているとみんな注目してくれたね。

 

清水:それが何歳くらいだったのですか?

 

平田:20歳くらいかな。

 

清水:その時の将来のビジョンはどんなものでしたか?

 

平田:上は目指していたけど、今のスタイルだとオリンピックはうすうす無理だと感じていたかな。目指したいっていうのはもちろんあったよ。でも日に12時間働いて、夜はスイミングでバイトしてって生活だし。お金を稼がないといけなかったしね。そんな感じで2年間頑張っていたら自衛隊からスカウトがきて。そのスカウトも大学の時の先輩から紹介してもらって。俺、大学の時から走るのが速かったから。泳ぐのも速いし。そんな選手がいますよって言ってくれたんだよね。スカウトのコーチに。

 

自衛隊体育学校という選択

 清水:なるほど。そこから自衛隊の体育学校に入ったわけですね。自衛隊の体育学校とはオリンピック選手の育成のみを目的としているのですか?

 

平田:そう、オリンピックの育成のみ。そこで近代五種という新しい種目と出会ったんだよね。正直、水泳では厳しいと思っていたから、今までの水泳を生かしつつ新しいことにチャレンジできることはうれしかったね。23歳の時からはじめて選手としては8年くらい没頭したかな。

 

清水:体育学校では、お給料をもらいながら練習をしていたのですが?

 

平田:そうだね。でも自衛隊体育学校はコーチの判断次第で1年でクビになるよ。

 

清水:厳しい世界ですね。もしクビになってしまったら、その先自衛官になるというのは王道の流れなのですか?

 

平田:いや、王道ではないね。クビになると、そのまま自衛隊を続ける人、プロに行く人、やめて全く関係のない道に進む人、三択かな。もともと自衛隊に入りたくて来ているわけではなく。実業団として競技をしたくてきているからね。

 

清水:なるほど、引退しても自衛官として働けるという考えで入ってきている人間は少ないということですね。

 

平田:そうだね。1割くらいじゃないかな?中には自衛隊の事を一切しないで終わる人もいるくらいだからね。まぁ、俺は自衛隊自体にも興味あったけどね。俺自身競技を引退することになった時、水泳の班からスカウトがきたんだよね。コーチとして水泳班に来ないかって。正直俺は近代五種の班だから、違うところのコーチに行くのってあんまりよく思われないんだ。だから結構もめたけど、それでも俺はそっちに行きたい。水泳の選手を育てたいって言ったんだよね。

 

清水:なぜ近代五種をやっていた平田さんが水泳班のコーチにスカウトされたのだと思いますか?

 

平田:大学までの水泳の実績と近代五種の水泳の成績がよかったからかな。

あとは人柄とかじゃないかな。水泳の人とも仲良かったし、どこの班の人間ともフレンドリーだったから。ふつうは班ごとに結構分かれるんだよね。俺は柔道とかレスリング、ボクシングの人とかとみんなで飲みに行ったりしていた。(笑)

 

清水:なんとなく想像できます。(笑)

 

平田:そういうのってあるじゃん。コミュニケーションの取り方とか。正直、コーチ陣がどういう決定打を出したかはわからないけどね。

 

引退後は指導者として

 

 

清水:なるほど、そこで今度は完全に指導者としての考え方に変わったわけですね。

 

平田:そうだね。そこで完全に変わった。

そこで大変だったのが、俺がコーチになった時期がオリンピック選考会に重なったこと。オリンピック選考会の年って体育学校の雰囲気がすごくて、そんな中、選手がオリンピックに選ばれたんだよね。監督、ヘッドコーチは選ばれた選手とトレーニングに行ってずっといない。コーチは俺だけで、当時、北島康介に勝ったような人達のメニューをいきなり作ることになったんだよね。そこでやったことは水中、陸上、ウェイトすべての練習を1人で見たんだ。普通はコーチが分かれているんだけど、一括して俺が練習をみて、かつウェイトトレーニングの部分は個人に向けてメニューを出していたんだよね。

 

清水:それはすごいですね。いきなりコーチが変わったら、選手から信用されないような気がするのですが。

 

平田:俺も最初はそう思ったよ。信用もコーチとしての実績もないしね。

でも俺が陸上トレーニングをたくさん知っていたし、過去にすごく優秀なコーチに単独で見てもらっていたから、選手より俺の方が体を動かせていたんだよね。選手はそこに食いつくし、それが今の指導スタイルのベースになっているかな。動きを実際に見せて教えるっているスタイル。どんな強い選手に対しても、弱いところを見つけて「こんな動きもできないのか」って言うと選手がクソーってなるからね。

 

清水:選手は基本的に負けず嫌いですからね。メニューを1人で作るということは相当大変だったのではないですか?

 

平田:かなり大変だよ。毎朝の3時まで個人個人にメニューを作るから。

本当にしんどかった。でも結果的に実業団が総合優勝して、今まで底上げできなかった選手の結果が出たんだよね。平田コーチのおかげだと。まぁでも、俺は恵まれた環境があったからだと思っているよ。選手を育てる上で自衛隊体育学校以上の環境はないからね。ご飯も普通の自衛官と違って選手用の食堂だし。

 

清水:そうなのですね。選手を教える上で平田さんは今までのコーチ陣とは違った指導方法を意識したのですか?

 

平田:そうだね。例えば普通のウェイトトレーニングは単に重い物を持ち上げるんだけど、俺はそのまま動きに繋げられるように指導するから。実際に水中で使える動作を組み込んでひとつのセットなんだよね。筋肉を使って、さらに動きに変換するところまでやるんだ。

 

清水:それは自分の哲学?というか考え方で指導を行っていたという事ですか?

 

平田:元々、色々なプロフェッショナルのコーチに教えてもらったというベースがあるからね。さらに俺は水泳を知っていたから。水泳のためにどこを使うかとか。あとはいろんな種目の全日本クラスの選手がいるトレーニングジムに行き、動きを観察してたかな。この動きは水泳に変換できるな。とかね。本も買って勉強したけどこれは全然意味がなかった。ほとんど知ってることしか載ってなかったかな。その時に育てた選手は、今はナショナルチームのコーチになってるよ。

 

清水:平田さんの指導者としての血が受け継がれているということですね。

 

平田:ん~どうだろう。俺は陸上で動かせない動きは水の中でも動かせないとは言ってたんだよね。そういった言葉は今の隊の人たちも言っているみたいだね。たまに陸上でできなくても水中でできちゃう天才みたいなのはいるけどね。(笑)

 

清水:そのあと自衛隊の隊員も経験されたのですか?

 

平田:そうだね。2年間コーチをやった後は自衛隊の隊員として働いたよ。自衛隊の体育学校から来たってすぐ噂になったんだよね。そこでは体育の指導を受け持つことになったんだよね。

 

清水:自衛隊の隊員になっても指導をしていたのですね

 

平田:うん。みんなに今までやったことのない練習をやらせるから。メンバーはみんなチンプンカンプンなんだよね。試合に向けて俺が筆頭で指導をするんだけど、走る試合に向けた練習なのに最初は全く走らない指導をしたんだ。まずはフィジカルから始めて、走る為の動きづくりをやって、そこから走ったんだよね。隊長から走らなくていいのかってかなり言われた。結果的に試合では総合優勝をして、それがきっかけで平田コーチについていけば間違いないって言ってもらえたかな。

 

清水:なるほど。隊が変わっても指導者としては変わらなかったという事ですね。

 

平田:そうだね。あと、何が一番良かったかというと、一般人に対して教えられたことがすごく大きいかな。選手を教えるのは、全員が同じモチベーションだから教えやすいけど、普通科の隊には練習をしたくない人もいるし、すぐ怪我をする人もいる。本当にバラバラなんだよね。その人達をまとめて底上げできたという実績は今の一番の自信につながっているかな。

 

清水:なるほど。自衛隊では何年やられたのですか?

 

平田:丸6年 いまだに言われる。平田さんがいなくなってしまって・・・。

 

清水:すごいですね。そんな影響力があるとは。

 

平田:うん。かなりあると思う。平田塾って名前付いていたからね。(笑)今でも自衛隊にきてくれとは言われるね。

 

 

本当に好きな事を仕事にする為に

      自衛隊を抜けることを決意

 

※芸人安田大サーカス団長のコーチでもある平田さん(写真 右)

 

清水:そこまでみんなが慕ってくれたのに、なぜ辞めてしまったのですか?

 

平田:自衛隊の中だけではなく、もっと広く、色々な人を教えてあげたいという思いかな。辞めないでくれという声も多かったけど、辞めた方が輝けるからという声も多かった。自分の思った道を進んだ方がいいよ、と言ってくれて最終的には快く送り出してもらったかな。普通だったらちょっと待て。大丈夫なのか?と聞かれると思うんだよね。

 

清水:なるほど。みんなの後押しがあったのですね。今はS-SENCEという会社で指導者として活動をしているんですよね?ジャンル等はしぼっているんですか?例えば、競技、年齢や性別とか。

 

平田:絞ってないね。

 

清水:指導をする際、ジャンルを絞った方がお客様もつきやすく王道だと思うのですが。自信があるからあえて絞らなかったと言う事ですか?

 

平田:そうだね。例えばプロのバスケット選手が教えて欲しいと来たとする。そういう場合、ボールに対してのテクニックは教えることはできないけどフィジカルや体の動きのベースとなる動作を教えることができるし、それはどんな競技でも共通していからね。たとえサッカーであろうが野球であろうが。

 

清水:平田さんは根っからの指導者だったんですね。

 

平田:そうだね、それは色々な人から言われる。

 

清水:それはどの時点で気づいたのですか?選手として本気でやっていたと思いますが。

 

平田:そう思ったのは高校生に教えているときかな。20歳くらいの時だね。その時はなんかちょっとおもしろいなと思っていたけど、完全に指導者いけると思ったのは体育学校の時かな。

 

清水:指導者に興味があった20歳くらいから、実際自衛隊の体育学校のコーチになるまでに選手として一線で活躍していたと思います。その時のモチベーションはどんなものだったのですか?

 

平田:それはもちろんオリンピックしか考えてなかったよ。

 

清水:その先は(引退後)のことは考えていましたか?

 

平田:考えてなかったね。全然考えてなかった。

 

清水:まずは結果を出すという考えだったんですね。

 

平田:うん。本来は引退後のことも考えた方がいいと思う。考えていなかった要因として、公務員というのが大きかったかな。選手を辞めても何とかなるから。これが普通の企業との契約選手だったら全然違うと思う。常に考えて動いていかないと。俺はそのままスライドできるからね。

 

清水:なるほど。だからこそ練習に集中できるというのもありますよね。

 

 

※海でのスイムテクニックを教える平田さん (写真 左)

 

平田:そうだね。これがもし終わったら何もないという状況だったら焦っていたと思う。でも俺、最悪実家のパン屋もあるから。(笑)

 

清水:パンメゾンですね!そういったバックグランドがない人は、競技をしながらも次の選択肢は考えた方が良いと思いますか?また、そういった人たちに対してアドバイスがあればお願いします。

 

平田:レベルにもよると思うけど、海外で戦える選手なら英語をしっかり勉強しなさいと言うね。英語を話せるようになればそれだけで武器になるから。なにも考えていない選手がいれば、人生の先輩としてアドバイスはするし、コーチ自体に興味があればそっちの方向に引っ張っていくこともするかな。

 

清水:それは競技引退後のことも視野に入れた指導をするという事ですね。

 

平田:うん、そこはすごく重要だと思う。アフリカで指導をしていた時、ナショナルチームの女の子がいたんだよね。水泳しかやってこなかった子だったんだけど、親がすごく賢くて・・・水泳だけやってても何も残らないから、子供に留学をさせてまずは英語を勉強させた。世界をしっかりと見なさい。ってね。俺はこの親は本当に子供の事を考えているなと思ったね。水泳だけだったらオリンピック行きましたくらいのレベルだとそれで終わりだから。

 

※アフリカでのナショナルチームトレーニング風景(写真 右奥)

 

清水:なるほど。わたし自身、ご縁があって今の仕事に就けていますけど下手したら引退してフリーターで一生を終える可能性もあったと思います。平田さんのような考え方の指導者が増えてくれると良いと思います。

 

平田:確かにね。でも競技中に次の事ばかり考えさせると集中できなくなるから、そこのバランスは難しいかな。でもまず一番大事なのは、その子が何をしたいかだよね。しっかりとした考えを持っていればそっちに向けさせるし、全くなくて、本当に何も考えていない子だったらこっちから言うと思う。

 

清水:なるほど。そう言った話も踏まえ、平田さんは30歳を過ぎてから自衛隊を飛び出したと思います。不安ではなかったのですか?